地形を愉しむ

地形散歩~地形の凸凹・スリバチを散歩で愉しむ~

妙正寺川の支流を辿る~中野・落合~

皆さん こんにちは

いよいよパラリンピックが始まりましたね。まだまだ、暑い日が続きますがお元気ですか?

今回は、前回記事の妙正寺川(みょうしょうじがわ)のちょっと上流部分に行ってきました。妙正寺川の支流だった上高田支流跡を辿ってみましたので紹介します。せっかくなので、中野駅周辺の川跡・古道も楽しんできました。

 地形の特徴


まずは、このエリアの地形の特徴からです。

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<地形図>カシミール3Dで作成 標高別に色分け:茶色(高い)⇔深緑(低い)

今回歩いたルートを赤線で示しています。中野駅から中井駅まで歩いてきました。

 

<地形の特徴>

妙正寺川(みょうしょうじがわ):上中央部分から右上にかけてが流れています

妙正寺川の上高田支流跡:かつて、新井薬師寺の近くから流れ出し、新杢橋(上落合3丁目)付近で妙正寺川に流れ込んでいたようです

神田川:下中央部分から右上にかけて流れています。緑色の部分が神田川が作った低地です

天神川(谷戸川)跡:中野サンモール入口付近を源流として、桃園川に流れ込んでいたようです


地形図のA-Bラインを下の断面図で見てみました。

左端の低地に妙正寺川が流れていて、中ほどの窪みに上高田支流が流れていました。川跡には、ちゃんと窪みが残っているんですね。

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右側の台地上には早稲田通り(古道・所沢道)が走っています。やはり、古道は台地上を通っているんですね。

それでは、実際に行ってみましょう。街歩きスタートです。中野駅からサンロードに向かいます。

天神川(谷戸川)跡


 

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サンロードを入ってすぐ左に入ったところが天神川(谷戸川)の源流部のようです。残念ながら、地形的な名残は見つかりませんでした。

川跡に沿ってサンロードを横切って進んで行きます。

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道が蛇行していますね。十字路で交差している道を見ると、この道が低い所を通っているのが実感できます。川跡の名残を見つけられると、すごく愉しくなってきます。

古道・薬師道


もみじ山通りに出たところで、天神川(谷戸川)跡とお別れします。新井薬師寺方面を目指して古道・薬師道を辿ってゆきます。

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打越北野神社の前です。神社の脇を通るのが古道・薬師道です。この写真では分かりにくいのですが、緩い上り坂になっています。古道を歩くときは、昔はどんな人がここを通ったんだろうなどと妄想しながら楽しんでいます。
ゆったりとした坂道を登りきると早稲田通りにぶつかります。通りを渡って薬師柳通りに入ります。

上高田支流跡


 薬師柳通りを少し進んだところで、妙正寺川の上高田支流跡上に入ってゆきます。

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五差路です。左の細道から正面右側の細道に向かって川が流れていたようです。跡を辿ってゆきます。細道の先にどんな風景が広がるのかワクワクします。

 

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大妻中野中学・高等学校の裏に細道が続いています。グランド脇で、部活の女学生の声が聞こえてきたり、明るい感じです。

足取りも軽く、細道をどんどん進んで行きます。

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段々と路地裏のうす暗い感じが出てきました。右側の塀には、コケが出てきました。

蛇行した細道を進んで行きます。

 

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右塀のコケが濃くなってきました。日差しが少なく、湿気が多いのでしょうか。川跡らしいですね。右端の看板もちょっと気になります。探検しているような気分になってきました。スピードを落として、おそるおそる進んで行きます。

墓地の脇を通り進んで行くと、白桜小学校に行く手を遮られたので迂回します。上高田中通りの辺りから、再び川跡を辿ります。

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川跡の道が落合斎場の敷地内を貫通しています。地上にいたはずが、いつの間にか地下に来てしまったような錯覚を覚える場所です。

上高田の台地


 川跡を離れ、台地の突端(地形図の青丸部分)を目指します。妙正寺川と上高田支流によって台地が削られた先端部分です。

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台地の上を目指して、神足寺の参道を登ってゆきます。

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台地上には、いつかの寺院・墓地が整然とゆったりと建ち並んでいました。静かな空間をゆったりと歩いていくと、穏やかな気持ちになります。

妙正寺川側の斜面を下ってゆきます。

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台地の突端の崖(壁)です。妙正寺川側の壁は、かなりの高低差があります。迫力のある壁を、しばし眺めます!

 

妙正寺川と支流の合流地点


いよいよフィナーレです。支流が妙正寺川に合流する地点を確認しに行きます。

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この通路が川跡のようです。路地の先に妙正寺川が流れているので、この先で流れ込んでいたようです。

 

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妙正寺川です。川面に西日が反射しキラキラ光って綺麗でした。街歩きは、ここまでになります。

今回は、妙正寺川の支流跡の細道を辿って、生活感あふれる路地裏や、墓地・斎場の脇道を堪能しました。

 

皆さんも裏路地となっている川跡をたどりながら、探検気分を愉しんでみてはいかがですか?

 

今回も以下の本を参考にさせて頂きました。ありがとうございました。

・東京スリバチ地形散歩 路地大冒険編(皆川典久・著/洋泉社

・東京23区凸凹地図(皆川典久・監修/昭文社

 

妙正寺川については、コチラの記事もご覧ください

chikei.hateblo.jp

神田川と妙正寺川の合流点を巡る~目白・落合~

皆さん こんにちは

線状降水帯による、大雨がやっと治まってきましたが、お元気ですか?

今回は、神田川妙正寺川(みょうしょうじがわ)の合流点を巡りつつ、坂も楽しんできましたので紹介します。

まずは、このエリアの地形の特徴からです。

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 <地形図>カシミール3Dで作成 標高別に色分け:茶色(高い)⇔深緑(低い)

今回歩いたルートを赤線で示しています。目白駅から落合南長崎駅まで歩いてきました。

 

<地形の特徴>

・地名の「落合」とは、妙正寺川(みょうしょうじがわ)と神田川が落ち合うところから名付けられたようです

・左上から右にかけて妙正寺川が流れています。現在、治水対策により画面中央部分から暗渠になり、高戸橋(豊島区高田3)付近で神田川本流に流れ込んでいます。

・左下から右にかけて神田川が流れています。緑色の部分が神田川が作った低地です

 
地形図のA-Bラインを下の断面図で見ると、

左側の窪みに妙正寺川、右側の窪みに神田川が流れています。神田川の方が川幅が広いですね。水量が多かったのでしょう。

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また、北側(A)台地の方が標高が高く、川との標高差は17mもあります。急な坂が続いていることが分かりますね。今回、北側台地に向かう斜面も堪能してきましたのでお楽しみに!

それでは、実際に行ってみましょう。街歩きスタートです。

目白駅から西に向かいます。段々と大きなお屋敷が目に付くようになってきました。

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道の真ん中に突然ケヤキの木が現れました。旧近衛邸のケヤキです。

目白駅西側の台地は、明治時代に華族近衛家の所有する広大な敷地があり「近衛町」と呼ばれていたようです。戦後、近衛邸の解体の際、住民の願いにより保存されることになったそうです。不自然に道の真ん中に残されたケヤキには歴史があるんですね。

少し進むと、しゃれた建物が目に入ってきました。

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目白ヶ丘教会です。フランク・ロイド・ライトの弟子である遠藤新(えんどうあらた)の設計です。丸窓や鐘楼のデザインが独特でとてもオシャレですね。

道の突き当りにも、素敵な建物が見えてきました。

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日立製作所目白クラブです。元々は学習院学生寮として建てられたようです。印象深いフォルムが素敵です。見とれてしまいます。残念ながら、敷地の一部にはマンションが建ってしまうようです。

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高級住宅地のある台地から段々と低地に下りて来ると、目の前には公園が広がっていました。

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おとめ山公園です。「おとめ」からは、「乙女」を連想して乙女のような綺麗な公園なのかとイメージしていました。実は「御留」が正解のようです。江戸時代、この一帯は将軍家の鷹狩場で、庶民の立ち入りが禁止されていたことから御留山と名付けられたそうです。

上の写真は、下の池 (弁天池)です。奥には広々とした芝生が広がり、見通しの良い明るい水辺です。

おとめ山通りを横切り、公園内を高台に移動します。

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おとめ山公園の高台から眺めです。かなりの高低差です。この直下(崖下)には、水が湧きだしているようです。東京都の名湧水に選ばれています。

公園脇の相馬坂を下って、妙正寺川を目指します。

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妙正寺川(右の川)に神田川の一部(高田馬場分水路)が合流しています。川が完全に護岸されていて都市化されています。あまり風情はないですね。

下流を振り返ってみました。

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妙正寺川が地下に潜りこんで、この先は暗渠になってしまいます。黒いひらひらに遮られて水路の中が見えません。突然川が終わってしまったようで、寂しい気持ちになりました。

隣を走る西武線の踏切を渡って神田川を目指します。

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神田川に出ました。こちらは川沿いに緑が整備されて、都市河川の無機的な感じを和らげてくれます。目の前には、先ほど妙正寺川に合流していた水路(高田馬場分水路)の入り口が見えます。神田川の水量が多くなると、洪水を防ぐために妙正寺川に水を分散させるのですね。

再び妙正寺川に戻り、川沿いを歩きながら北側の台地を目指します。

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三の坂通りです。北側の台地に向かう坂です。この辺りには、「一の坂」から「八の坂」まであります。全部上り下りしてみたいです! 

この坂は、登らず次の坂へ向かいます。

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四の坂通りの階段です。結構急な階段です。一気の登ると息が切れました。右側には林芙美子記念館が見えます。日当たりの良い南斜面に高低差を利用して作られています。昔は、高い建物などなく、眺めがよかったのかもしれません。

台地の上に出ました。住宅街を道なりに進んで行くと、急にお寺が現れました。

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中井出世不動尊です。「出世」いい響きですね。少しはご利益がありますようにと、合掌してきました。こちらの不動尊と出世との関係は説明書になかったので、興味湧きました。帰ってから調べてみましたが、未だにわかりません…… 

最後に、一度訪ねてみたかった所へ向かいます。

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ホビーセンターカトー東京店です。店舗の前には、デハ268がどーんと鎮座しています。赤い車両がかっこいいです! 1階と2階の広々したスペースに鉄道模型や巨大ジオラマが展示されています。ジオラマがでっかくて見ごたえあります。童心に帰って、模型の走るジオラマを堪能しました。

今回は、ここまでになります。

皆さんも2つの川の合流地点を巡って、水辺につづく坂道を愉しんでみてはいかがですか?

 

今回も以下の本を参考にさせて頂きました。ありがとうございました。

・東京スリバチ地形散歩 路地大冒険編(皆川典久・著/洋泉社

 

神田川については、コチラもご覧ください

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弦巻川跡を辿り関口台の坂を愉しむ~池袋・関口~

皆さん こんにちは

週末ごとに雨が続いていて街歩きもしにくい状況ですが、お元気ですか?

前回の水窪川に続き、今回は暗渠となってしまった弦巻川の跡を数カ月前に辿ってきました。池袋から文京区の目白台・関口台にかけて巡りましたので紹介します。

水窪川の記事はコチラ>

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まずは、このエリアの地形の特徴からです。

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<地形図>カシミール3Dで作成 標高別に色分け:茶色(高い)⇔深緑(低い)

今回歩いたルートを赤線で示しています。池袋駅から江戸川橋駅まで歩いてきました。

 

<地形の特徴>

・中央の茶色の部分が護国寺が鎮座している台地です

・左下から右下にかけて神田川が流れています。緑色の部分が神田川が作った低地です

・中央上から左下に続く緑色の部分が小石川(谷端川)跡です

 

それでは、実際に行ってみましょう。街歩きスタートです。

池袋西口からホテルメトロポリタンに向かいます。

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メトロポリタンの東側道路です。写真中央部分が少し窪んでいますね。弦巻川の源流部となる丸池がこの辺りにあったようです。建物は近代的になり池があったなんて想像できませんが、しっかり地形に名残が残っているんですね。

JRの線路の下をくぐり、弦巻通りに入ってゆきます。

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しばらく進むと東京音楽大学の近代的な校舎が見えてきます。右の道を進みます。蛇行しているところから、川跡の気配がぷんぷんします。

雑司が谷大鳥神社の横を通りすぎ、都電の踏切も越えてどんどん進みます。

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左側は寶城寺の境内です。雑司ヶ谷霊園に向けて小高い台地になっています。このあたりも道が蛇行していますね。川跡っぽくてイイ感じです。

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川跡の弦巻通りには昭和な雰囲気を残すお店が残っています。今で言うとショッピングモールと言ったところでしょうか? さびれた感じがいい味を出しています。

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清土鬼子母神目白台2丁目)の裏です。壁と地面から水が染み出して、流れをつくっています。と言うことは、弦巻川もこのあたりを流れていたのでしょう! 地形的にもこのあたり窪んでいます! 弦巻川跡を見つけ気分が一気に上がります。

この先、弦巻川は首都高・高架下を流れていたのですが、歩道がなく辿れなくなってしまいました。せっかくなので、目白台に寄り道してきました。

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腰掛稲荷神社です。鷹狩りに出掛けた三代将軍徳川家光が休息のため切株に腰を掛けた場所だそうです。目白台の突端にあります。かつて崖下には弦巻川が流れていたんでしょうね。

不忍通りから音羽通りに入り、再び弦巻川跡にアプローチします。

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首都高の高架下の遊歩道です。この下を暗渠になった弦巻川が流れているようです。すっかり整備されてしまい面影を感じられないので、音羽の谷から目白台・関口台につづく坂道を愉しむことにしました。

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三丁目坂です。ぐぃーんと曲がっていて、いい感じです。道の行き先は青空に抜けてます。気持ちいいですね。

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鉄砲坂です。すごい急坂です! 下りだったので楽々でしたが、上りだとキツイですね。江戸時代に崖を利用した鉄砲の射撃練習場があったことから名付けられたそうです。

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関口台公園です。関口台から音羽の谷への高低差を利用して作られています。音羽通り沿いのビル群に遮られて眺望がないのが少し残念です。一番高いところは、首都高の道路面と同じ高さにあり、走っている車をのんびり眺めながら暫し休憩します。

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関口台公園の脇を通る鳥尾坂です。明治時代、鉄砲坂は急坂すぎて自動車でも通れなかったそうです。そこで坂上に邸宅のあった鳥尾子爵が私財を投じて新たに坂道を開いたことから名付けられたそうです。ここも傾斜が凄いですが、鉄砲坂よりはマシなようですね。

坂を登ってゆくと、急に東京カテドラル聖マリア大聖堂の勇壮なフォルムが目に入ってきます。良い坂ですね。いっぺんで好きになりました。

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七丁目坂です。手すりが付いていますね。ここもかなりの急坂です。ゆっくり階段を下ってゆきます。

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ここまで来たので目白坂(古道・清戸道)も堪能します。目白坂上にある幸神社です。このあたりに目白の地名由来となった目白不動堂(戦災で焼失前)があったようです。

これまでの坂よりは、なだらかな目白坂を下って、いよいよ弦巻川の最後を見届けます。

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暗渠となった弦巻川が神田川に合流しました。水量は少ないですね。神田川の桜並木をみると春の素敵な風景が目に浮かびます。来年は、花見を心から楽しめることを祈りたいと思います。
今回は、ここまでになります。

皆さんも弦巻川の跡をたどりながら、関口台に続く坂道を愉しんでみてはいかがですか?

 

今回も以下の本を参考にさせて頂きました。ありがとうございました。

・東京スリバチ地形散歩 都心新発見編(皆川典久・著/洋泉社

水窪川の跡を辿る~池袋・音羽~

皆さん こんにちは

オリンピックも終わりましたが猛暑が続きますね。お元気ですか?

今回は、暗渠となってしまった水窪川の跡を辿りました。池袋から文京区音羽にかけて巡ってきましたので紹介します。

まずは、このエリアの地形の特徴からです。

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<地形図>カシミール3Dで作成 標高別に色分け:茶色(高い)⇔深緑(低い)

今回歩いたルートを赤線で示しています。池袋駅から江戸川橋駅まで歩いてきました。

 

<地形の特徴>

・中央の茶色の部分が護国寺が鎮座している台地です

・左下から右下にかけて神田川が流れています。緑色の部分が神田川が作った低地です

・中央上から左下に続く緑色の部分が小石川(谷端川)跡です

 

地形図のA-Bラインを下の断面図で見ると、中央部分の緑色の部分は水窪川と鶴巻川(次回ご紹介)が台地を削って出来た谷です。この谷は、音羽の谷とも呼ばれています。台地のとの標高差が15mほどあり、結構深い谷であることが分かりますね。

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ちなみに、Aの台地は関口台、Bの台地は小日向(こひなた)台と呼ばれているようです。

それでは、実際に行ってみましょう。街歩きスタートです。

池袋東口から美久仁(みくに)小路に向かいます。

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この辺りは昔、湿原で水窪川の源流部だったようです。奥に見えるサンシャインの高層ビルと大衆居酒屋・横丁の比較が面白いですね。

豊島岡女子学園の横、日出町公園の中を通って進んで行きます。その先のT字路は気をつけてくださいね。この先の道が分かりにくいです。

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串カツ田中の店舗の影に隠れて道が見えないのです。下見の際、間違って日出町第二公園の脇の道を進んでしまいました。正解は写真Y字路・右の道です。

蛇行した道を進んで行きます。川跡らしくなってきました。都電を横切ってさら進むと、道端に小さな広場(富士山広場)が現れました。

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ここに水窪川の碑(写真・中央右の黒い碑)があります。「昔、ここに小さな川が流れていた 後世にこれを伝える 1986年」と刻まれています。よく気を付けないと見過ごしてしまいそうなささやかな碑です。しばし、在りし日の水窪川に思いを馳せます。

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蛇行した裏路地が続きます。この先どんな風景が待っているのかワクワクします。プチ探検と言った感じです。

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Y字路です。川跡はもちろん左の細道に続いています。右奥にみえる坂道は開運坂です。坂道は空に続いているように見えます。運が開けそうな感じがします。

昔、この坂の上には柔道の創始者である嘉納治五郎先生の邸宅と柔道場があったそうです。この道場は開運坂道場(後の講道館)と呼ばれていたことから、開運坂と名付けられたそうです。

細道をどんどん進んで行きます。

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吹上稲荷神社の鳥居をくぐって、すぐに左の細道に入ってゆきます。神社に寄りたいと思いましたが、まだまだ先がないので、川跡らしい細道を進みます。

不忍通りにでたところで一旦、水窪川跡を離れて護国寺に向かいます。

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参道を登って護国寺にお参りします。五代将軍徳川綱吉公の生母・桂昌院の発願により建立されたようです。立派な建物ですね。少し境内を散策します。

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護国寺の隣にある豊島岡墓地の池(蛇池)です。護国寺の境内から見えました。崖下の湧水が溜まってできた池かもしれません。ここから流れ出した水が水窪川に合流していたようです。野鳥が気持ちよく日向ぼっこをしています。見ている私もほっこりしてきました。

護国寺を下って、再び水窪川を辿ってゆきます。

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小日向(こびなた)台の崖下まで進んできました。この辺りの崖はすごく高いですね。写真手前のマンホールから、この下に水窪川が流れていそうな雰囲気をヒシヒシと感じました。

更に進んで行くと、とうとう水窪川の跡をビルに塞がれてしまいました。ちょうど、イイ感じの坂があるので登って迂回します。

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鼠(ねずみ)坂です。音羽の谷から小日向(こびなた)の台地にむかって、一直線に伸びています。良い感じです。きつい傾斜が長く続くので、一気に登るのはあきらめ、休み休み登ってゆきました。森鴎外の小説「鼠坂」の舞台となった坂のようです。

上りきったら、鳩山会館の裏を通って、グルーっと回り込みこむ感じで鳩山会館の正面に向かいます。

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鳩山会館・入り口の坂を横から見ました。新しくコンクリートブロックで補修をされた部分が橋の跡ようにも見えます! とすると、橋の下には水窪川が流れていたはずです! 水窪川の痕跡をみつけめっちゃテンションが上がります。

足取りも軽く、水窪川の後を辿ってゆきます。

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崖下に水が湧き出ています。水量は少ないですが、とぎれなく湧き出しています。バケツにたまった水は、近所の人が植木に水やりとかに使っているのでしょうか。想像が膨らみます。

いよいよ水窪川もフィナーレを迎えます。

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暗渠となった水窪川が神田川に合流しました。水量は少ないですね。昔は、水窪川の水を使って紙すき(製紙)が行われていたことを思うと感慨深いですね。


今回は、ここまでになります。

皆さんも水窪川の跡をたどりながら、細道・裏路地を探検気分で愉しんでみてはいかがですか?

 

今回も以下の本を参考にさせて頂きました。ありがとうございました。

・東京スリバチ地形散歩 都心新発見編(皆川典久・著/洋泉社

 

同じエリアのコチラの記事もご覧ください

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