地形を愉しむ

地形散歩~地形の凸凹・スリバチを散歩で愉しむ~

男坂・女坂と文豪ゆかりの地を訪ねる~御茶ノ水・本郷~

御茶ノ水男坂・女坂でダイナミックな地形を堪能しつつ、明治の文豪ゆかりの地を訪ねる

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<地形図>カシミール3Dより 標高別に色分け:茶色(高い)⇔深緑(低い)

 

スタートは、JR中央線御茶ノ水駅。ゴールは、千代田線の根津駅。約6kmのコース

<地形の特徴>中央の舌の形をした台地(本郷台)の先端が神田川中央本線・線路の直上)によって断ち切られていることが分かる
江戸時代、神田川の洪水対策として、流路を東に変えるため本郷台を人工的に開削したものだ

下の図のA-Bライン断面図を見ると開削された状態がよくわかる

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標高22mの台地を標高4mまで掘った
つまり、標高差18mを開削したのだ。掘削した多量の土は、日比谷入江の埋め立てに使われた

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<全行程の標高・勾配> 標高差は約15mと大きくはないが、急勾配が多い

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御茶ノ水駅をスタート、平坦な台地の上を山の上ホテルまで歩いていきます。
台地の上(山の上ホテル裏)から錦華公園を望む

本郷台の突端近くだ!

かなりの急勾配を、楽しみながら降りてゆく

公園の隣には夏目漱石の母校である御茶ノ水小学校(旧錦華小学校)(工事中)がある

 

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男坂:直線的で急勾配であることから名付けられた
昔は崖で、崖の上と下を結ぶ生活道路がなかったので

大正時代に関東大震災の震災復興事業として女坂とセットで作られた

階段はけっこう急だ、段数も結構ある!
一歩一歩ゆっくり踏みしめながら本郷台に登ってゆく

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男坂の近くにある女坂
湾曲しており男坂より緩やかな階段

階段に隣接して民家が建っており
階段の踊り場から玄関にアプローチできるように設計されている
実用的だけど、こんなのもありなんだとびっくり!

女坂を下って低地を進み、水道橋を渡る

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讃岐の金毘羅神社の東京分社
この地は、江戸時代に讃岐高松藩下屋敷のあった場所だ
その縁で、神社は明治時代にこの場所に遷座した

近くに、うどん屋があり
その名は「讃岐うどん大使、水道橋麺通団
麺通団香川県民のうどんオタク集団)・公認だそうだ

麺通団公式ウェブサイト

奥に見える白い校舎が女子御三家の1つ桜蔭学園

 

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桜蔭生が通学するので、通称・桜蔭

かなりの急坂だ! 坂上まで一気に行くと息が切れる

 

坂の左側の建物は、1階に能楽堂が入った集合住宅だ。おしゃれ!

ちなみに、坂の正式名は、忠弥坂

 

その先の急坂を上り下り、坂を堪能しながら進む

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本郷給水所公苑

本郷給水所の屋上部分に作られた公苑

和風庭園と洋風庭園があり、手入れが行き届いており綺麗な花が咲き誇っていた

 

庭園の一角に江戸時代の神田上水の復原展示がある

実際に発掘された石樋を使って復元されているので、リアリティを感じる

深さは120-150cmでイメージしていたものよりも深い!

暫し、江戸時代に思いをはせる

 

神田上水の水源巡りはこちら↓

神田川の源流と玉川上水を巡る~井の頭公園~ - 地形を愉しむ

 

さらに、台地の上を進んでゆく

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炭団坂・中段より低地を望む

坂上には坪内逍遥旧居跡、坂下には宮沢賢治旧居跡があり

いよいよ文豪ゆかりのエリアに入る

坂はもきれいに整備され、街灯の形も明治の文明開化のイメージだ

 

坂を下り切り、通称・下道を進む

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樋口一葉が使っていた井戸と旧居跡、いちど来てみたかった場所だ

イメージ通り、崖下で薄暗く、路地のどん詰まりだ

(奥に階段はあるが先は崖になっていて崖上には出られない)

貧困にあえいでいた一葉が住まざるを得なかった場所だ

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すぐ近くに一葉が通った旧伊勢屋質店がある

 

一葉の明治26年5月2日の日記にも登場する

此月も伊せ屋がもとにはしらねば事たらず、小袖四つ、

羽織二つ、一風呂敷につつみて、母君と我と持ちゆかんとす。

蔵のうちにはるかくれ行ころもがへ

 

右に続くのが菊坂通り

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旧伊勢屋質店の近くにある胸突き坂

坂の名前から、どんだけ急なのか! ワクワクしながら行った

 

意外ときつくなく、期待が大きすぎたか?

台地上にあった石川啄木の下宿跡を眺めつつ先に進む

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台地の上から谷筋を通る道路が見える

向いの台地は、西片と呼ばれる高級住宅地だ

かつて、福山藩阿部家の中屋敷があった

 そちらも行ってみたかったが、またの機会に

 

谷筋の道路を右に進む、ゆるい坂道を上る・だらだらと続く

登りきると尾根筋を通る中山道にぶつかる

更に進むと言問通り

今度は、言問通りをだらだらと下ってゆく

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言問通りから1本入って、サトウハチローの旧居跡を眺めながら進むと

写真のY字路にぶつかる、左の下り坂が異人坂だ

明治時代、東京大学には外国人教師が雇われており、台地の上に住んでいた
当時は外国人が珍しく、外国人が上り下りした坂なので異人坂と呼ばれるようになった

 

下りと上りのY字路、登り切った所での眺望が気になったが
時間の関係で、泣く泣く下る

下りきったところが千代田線の根津の駅だ

 

このエリアは坂が多く、昔の街並みもかろうじて残る。昔、教科書で習った文豪が住んだ街を歩いて、また文豪の書を読み直したいと思った。まだ、歩いていない坂もたくさん残っている。再訪するのが楽しみだ。

 

あなたも多くの名作が生まれた地を楽しんでみてはいかがですか